それでもまだ歪んでる。
2005年9月14日 心拒食症だった頃、痩せる事だけで頭がいっぱいだった。あの頃ホテルで婚礼とか宴会スタッフをしてたけど、お客様なんて、仕事なんてほぼどうでもよく、他人の体型と自分の体型ばかりに目がいってた。人が何を食べているか、自分はいかに食べずにその場をやりすごすか、食べていないと思われないようにどうしたらいいか、貰ったお菓子類をどうやって捨てるか、そんな事で脳内が埋まってた。気持ち悪いほどに痩せてる自分が誇りだった。それでも、もっともっと痩せたかった。
過食症になった時、太っていく事に耐え切れず、消えてしまいたかった。世の中が真っ黒に見えてた。人に会う事が苦痛だった。あの頃も、体重、体型、食べ物、それに脳みその機能フル稼働してた。
過食嘔吐になった時、これで太らないという安心感はつかの間だった。食べる量が半端じゃなくなった。馬車馬の様に働き、給料は全て食べ物に費やして、洋服も靴も何も買えなかった。プライベートな時間は全て食べ吐きだった。寝る間も惜しんで過食嘔吐。彼氏も去られ、友達付き合いも絶ち、なのに辛い辛いって誰かにすがり付く事に必死だった。
リストカットし始めた時、あの一瞬の爽快感に自分の居場所があるように思えた。居場所なんて無かった。リストカットから得たものは、無数の醜い傷跡だけだった。同時に家族の心にも傷を付けた。
ODで意識を失う瞬間、このまま消えられるっていう安心感。そんなのは一瞬で、ほんとは消えたくなんかなかった。自分の弱さから目をそらして、埋まらない寂しさをどうにかして満たす事に必死だった。
だから、今仕事のことを真剣に考えたり、友達と恋愛の話をしたり、部屋の家具をどれにしようか迷ったり、洋服を見ながらどれにしようか悩んだり、そんな時間がたまらなく愛おしい。友達や家族とただ笑える時間が大切で仕方ない。
歪んだり、偏ったり、弱さや甘えや未熟さがまだまだ足に絡まってるけど、ゆっくりこれを解いていけたらいいと思う。あたしばっかりこんなに辛いなんて、もう思う事はないと思う。
過食症になった時、太っていく事に耐え切れず、消えてしまいたかった。世の中が真っ黒に見えてた。人に会う事が苦痛だった。あの頃も、体重、体型、食べ物、それに脳みその機能フル稼働してた。
過食嘔吐になった時、これで太らないという安心感はつかの間だった。食べる量が半端じゃなくなった。馬車馬の様に働き、給料は全て食べ物に費やして、洋服も靴も何も買えなかった。プライベートな時間は全て食べ吐きだった。寝る間も惜しんで過食嘔吐。彼氏も去られ、友達付き合いも絶ち、なのに辛い辛いって誰かにすがり付く事に必死だった。
リストカットし始めた時、あの一瞬の爽快感に自分の居場所があるように思えた。居場所なんて無かった。リストカットから得たものは、無数の醜い傷跡だけだった。同時に家族の心にも傷を付けた。
ODで意識を失う瞬間、このまま消えられるっていう安心感。そんなのは一瞬で、ほんとは消えたくなんかなかった。自分の弱さから目をそらして、埋まらない寂しさをどうにかして満たす事に必死だった。
だから、今仕事のことを真剣に考えたり、友達と恋愛の話をしたり、部屋の家具をどれにしようか迷ったり、洋服を見ながらどれにしようか悩んだり、そんな時間がたまらなく愛おしい。友達や家族とただ笑える時間が大切で仕方ない。
歪んだり、偏ったり、弱さや甘えや未熟さがまだまだ足に絡まってるけど、ゆっくりこれを解いていけたらいいと思う。あたしばっかりこんなに辛いなんて、もう思う事はないと思う。
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